テーマ:思い出

雨の日に

昨日は一日中雨が降っていたので 朝からたっぷりPC漬けでしたヨ 例によってYouTubeで 昔懐かしい思い出の音楽映像を沢山見ました 歌手ではサッチモやペリー・コモやリッキー・ネルソンやプレスりー ワンダ・ジャクソンやペギー・リーやエラ・フィッツ・ジェラルドやドリス・デイ等々 バンドではビ…
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懐かしい歌姫たち

昨日「蘇る昭和の歌姫伝説」という番組を懐かしく見ました 惜しまれながら全盛期に芸能生活を引退した 山口百恵やちあきなおみ 道半ばにして無念の死を遂げた 美空ひばりや本田美奈子やテレサ・テン いづれも昭和の時代に素晴らしい彩りを添えた名華たちです 彼女たちが歌に賭けた並々ならぬ情熱と意欲は …
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終戦記念日

戦後66年 毎年終戦記念日になると 京都の浄土寺の街頭ラジオの前で お袋のモンペの裾を掴んで お袋の真似をして跪いて聞いた玉音放送を思い出します まだ私は6歳でしたから内容は全くわからなかったですが 誰かが「戦争が終わったぞ」と云った言葉が今でも耳に残っています 子供心にこれでもう自由に遊べるんだ…
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マリオ・ランツア

昨日YouTubeで久々にマリオ・ランツアの歌声を聞いてシビレましたヨ 私が大阪で中学生の頃 親友のW君と二人で 戎橋の松竹座へ「歌劇王カルーソー」という映画を見に行きました 映画を見に行く時はいつも彼と一緒でした この映画で主役を演じていたのがマリオ・ランツアでした あのイタリアの生…
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古い写真

昨日昔の白黒フィルムを出してきて整理していたら 大学の卒業式を終えて 友達と二人で校門の前で撮った写真が出てきましたヨ 昭和37年の姿です それもなぜか一枚だけ切り取って残してありました 大分損傷しているもののスキャンして見たら 何とか見られるので大事に保存しておきましたヨ いや…
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兄のこと

私の直ぐ上の兄は京都に住んでいます 一昨年ごろから体調を崩して 入退院を繰り返していましたが 今年の6月ごろから本格的に入院して治療しています 昨年最愛の妻を亡くしてからは特に元気がなくなり 食事もあまり食べなくなって痩せてしまいました そんな今朝 甥っ子から電話があって 兄がいよい…
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パリのアメリカ人

昨日はBSHiで懐かしい映画「パリのアメリカ人」を見ましたヨ 思い返せば あれは昭和28年頃 大阪時代  まだ 中学生の時だったなア 親友のW君と戎橋の松竹座へ 下駄っ履きで見に行ったことを懐かしく思い出しました この映画は 私がジョージガ-シュインの音楽と出会った最初でした …
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夜行列車「大和」

私が学生時代は今のように新幹線も無く 東京の下宿から大阪の実家へ帰るのには いつも夜行列車に乗っていました 急行「大和(やまと)」という列車でした この列車は東京発で大阪の湊町駅から関西本線に継走する唯一の列車で 私の実家が大阪の阿倍野区にあったので 湊町で降りると非常に便利なのでした …
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ホタルの夕べ

私が毎朝ラジオ体操に行っている公園の森で 「ホタルの夕べ」というのが今週末にあります 玉川上水の緑道の脇にホタルの飼育施設があって 毎年この時期に 公園の森の中に蚊張のような囲いをして 源氏ボタルや平家ボタルを放して楽しませてくれているのです 当日は小さい子供連れのお父さんお母さん達で賑わいます …
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アルビオン

昨日 カメラのアクセサリーを見に有楽町のビックカメラに行って来た 夏休みも終わりに近づいてかなりの人出だったネ 帰りに西武デパートと阪急デパートのあるマリオンに寄って見た ここは昔の日劇の跡だが 映画館などにその面影を残している他はすっかり変わってしまった 私が学生時代にはこの日劇の地下に …
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秋の気配

昨日今日と気温がぐっと下がって 爽やかな秋の気配が漂ってきたネ 朝のウォーキングも半袖では肌寒いぐらいになって来たヨ もう8月も終わりだから何度か残暑はぶり返すだろうが 次第に秋に移行して行くことになる 秋はいいなぁ! 爽やかで落ち着いていて 大人の季節だ 私は秋が一番…
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玉音放送

昨日は63回目の終戦記念日だった 私はこの日になるとお袋と聞いた玉音放送を思い出す 昭和20年8月15日私は6才と11ヶ月の時終戦を迎えた 当時私たち家族は高知の空襲を逃れて 親戚を頼って京都の浄土寺というところに移り住んでいた 8月15日の昼 お袋と近所の街頭ラジオで玉音放送を聞いた 私は何…
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くいだおれ

私が中学生の頃道頓堀の松竹座へよく洋画を見に行ったものだ もう五十数年も前の話だ ナンバから戎橋商店街を抜けて   戎橋のたもとを西へ折れれば松竹座だ 東へ折れたところに「くいだおれ」はあった くいだおれの東側には 角座・中座・浪速座・朝日座・弁天座(道頓堀5座) といった劇場が立…
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カミキリ虫

私のウォーキングコースの玉川上水緑道には 所々に看板がある これは主として上水に生息する動植物の 名前や生態についての説明をしたものである それらの看板の一つに「これは何だ?」と書いた看板がある 看板には木の絵と木に開けられた小さな穴が書かれていて これはカミキリ虫の巣の跡だと説明してある…
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裕次郎の歌

 私が大学生の頃は 石原裕次郎全盛の時代だった 日活系映画館には 裕次郎の派手な看板がいつも架っていた 裕次郎は歌がうまくしかも音域が広い 映画の主題歌は勿論のこと いろんなジャンルの歌を歌っていた  私はハワイアンを齧っていたことから 彼…
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Hilltop Hotel

昨日長男のIT関係の試験場へ付き合って来た 試験場がたまたま私の出身大学だったので 長男が試験を受けている間 生憎の雨の中  47年ぶりに 昔懐かしい大学周辺をぶらついた 学生時代は とても縁の無かった憧れのHilltop Hotelへも行ってみた 洒落た瀟洒な佇まいで なんともいいが…
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旧友

私の旧友 T.W.君は 大阪で中学1年の3学期に 隣町から引っ越して来て 私のクラスに転入してきた 背の高い彼は 私の横並びの列の一番後に席が決まった 彼は勉強が良くできておとなしい性格だったが 芯は強い男だった 私は彼と意気投合してたちまち親友になった 休みの日は殆ど彼と行動を共に…
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懐かしのミュージカル

BSで昔懐かしいMGMの映画特集を見た 1950年代のミュージカル映画の全盛時代 ジンジャー・ロジャース ジュデイ・ガーランド ハワード・キール シド・チャリシー  ベティ・ハットン  デビィ・レイノルズ ジューン・アリスン ミッキー・ルーニー ジーン・ケリー フレッド・…
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竜巻

台風13号の接近に伴って 宮崎県の延岡を襲った竜巻は 風速50-69mだった可能性があるという 前にも書いたが 私が子供の頃大阪でのジェーン台風の恐怖体験が 風速にして47.5mだったことから考えると想像を絶する あの時 我が家の雨戸が飛ばされて 外を見ると 瓦やトタンが紙屑のようにひらひらと舞…
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戦後六十年

あの惨めな敗戦から早や六十年が過ぎた 私たち家族は戦時中高知に住んでいた いよいよ高知にも焼夷弾の雨が降るようになった昭和20年初め 命からがら京都の親戚宅に身を寄せ 終戦の日を迎えることが出来た 街頭のラジオから流れる玉音放送に モンペ姿のお袋が 被っていた日本手拭をとって 皆と並んで膝まずいて聞き…
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車のこと

私は昭和39年に車の免許を取ったからかれこれ42年目になる   買い換えた車は 今の車で丁度11台目だ 最初は兄貴と割り勘で当時8万円のクライスラーの中古を買った この車はひどくて後部座席のドアが悪路の振動で開くから 内側で左右のドア同志をゴムひもでつないで走ったものだ 2台目に自力でやっと買ったクラウンの観…
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カレイの投げ釣り

私は若い頃 海の投げ釣りに 凝っていた 関西勤務時代だったから 泉南や淡路島や鳥羽方面へもよく出掛けた 投げ釣りの対象魚は カレイ・キス・アイナメ等の底ものだ 中でもカレイはアタリが独特だ 合せると ずっしりと重く 巻き上げる途中でシメ込む感触はたまらない 昨日のテレビ番組で 富山湾でのカ…
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大雪

新潟や長野の大雪を見て思い出した 昭和22年私たち一家は北海道は士別に転居した 士別は旭川の北に位置し それはそれは 雪深いところであった  2m・3mは常であったと思う 屋根の雪降ろしのせいで  二階から出入りする事が当たり前であった 今朝の新潟地方のテレビ映像をみて まさに同じ光景に出…
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悪ガキ時代(6)

京都の北白川 インクラインの傍に疎水が流れていた 小学校に入ったばかりの私はこの疎水に目をつけていた 暑くなったらここで泳ごう・・・と 7月の暑い日 意を決して  学校に行く途中サボって 疎水へ行った 疎水の水はややぬるく やわらかい感触だった 念願がかなって 有頂天になって フルチ…
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悪ガキ時代(5)

京都の市電のただ乗りの件は前に書いたが その市電で京極の洋画館へターザンやチャップリンの映画を良く見に行った  といっても金があるわけじゃないから タダで見るのである 映画館の切符切りのおばちゃんの台の下を すばやくすり抜けて暗い館内へ逃げ込む 昔はのどかなもので 入ってしまえば 追ってくることはなか…
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悪ガキ時代(4)

北白川の電車通りに 回転焼きのおっさんがきまって屋台を出していた 当時は紙が不足していて おっさんは回転焼きを包むのに困っていた 私は一計を案じた お袋が大事にしまっていた婦人雑誌だ これをおっさんにやれば 回転焼きがタダで食べられる 私は早速雑誌を1冊持っていった 案の定 おっさんは大喜…
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オッチョコチョイ

毎朝のウオーキングの時に聞いているラジオ 生島ヒロシの「おはよう一直線」 今朝聞いていたら生島ヒロシが パジャマのままスタジオ入りしたという  思わずふきだしたが 彼もオッチョコチョイな普通のおじさんだな と思った そういえば勤め時代に後輩が パジャマの上に背広・コートを着て出勤してきたのを思い…
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悪ガキ時代(3)

終戦直前の昭和20年春から 京都の北白川で暮らした 8月 戦争が終わって 平和な日々が戻った 北白川に路面電車の市電が通っていて 京極や河原町へ通じていた 私は小学校に上がったものの 戦後のどさくさもあってあまり学校へは行かなかった 市電の運転手と親しくなって しょっちゅう無賃で乗せてもらった …
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悪ガキ時代(2)

高知での子供時代 近くに城東中学校(現追手前高校)があって その体育館に軍事物資の毛布が山と積んであった 私は近所の子供を誘って 体育館に入り込み うずたかく積まれた 毛布の山に駆け上がっては 山から山へ飛び移って遊んでいた ある日 見廻りの士官がきて 「こら~ 降りてこい」と言われて 懇々と説…
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悪ガキ時代(1)

私は生れてすぐ 親父の転勤で 四国の高知へ転居して 会社の社宅で幼児時代を過ごすことになった 第二次大戦が始まる昭和16年頃から 私の悪ガキの片鱗がでだした 3才のある日社宅の前の大通りで 当時のボンネット型の木炭バスの前に座り込んで 市バスを止めてしまった 運転手が降りてきて 「この…
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